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由 緒

●ご祭神

大物主大神

(おおものぬしのおおかみ)

古来『人の身につき願ひて叶はざることなき大神』と称えられるほどの広大無辺なご神徳がございます。
また国津神の統領として、広く信仰をあつめ、
「10月の神無月には八百万の神々は出雲へ集う」とされていますが、
「こんぴら様だけは出向かわれず、祭礼にお残りになられる」とも言い伝えられています。

 

ご 神 徳

家内安全 商売繁昌
交通安全 開運厄除
大漁満足 海上安全
学業成就 夫婦和合
病気平癒 安 産
他 、人事百般

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●創 建

旧峯山藩主 京極家は、代々縁の讃岐金毘羅権現を深く信仰され、この峰山の地に金毘羅社を勧請したいと念願されていました。
7代藩主 京極高備( タ カ マ サ)公は、同族のよしみから、丸亀・多度津の両京極家にあっせんを依頼し、金毘羅宮にも交渉を続けられました。
そして遂に藩主をはじめ町衆の永年に渡る悲願がかない、一国一社の先例を廃し、御分霊を勧請することができ、文化8年(1811)現在の峰山町泉の地に社殿を建立してご奉祀されたのです。

 

●沿 革

 創建以来現在にいたるまで、歴代の峰山藩主をはじめ町内外の人々から信仰を集めてきました。
特に「願いて叶はざることなき大神」と称えられるご神徳と、当地では例のない壮麗な神域境内や社殿のもと、町内にとどまらず丹後一円から篤く崇敬されることとなりました。

創建時は神仏混淆( コ ン コ ウ)の「金毘羅権現社( コ ン ヒ ゚ ラ コ ゙ ン ケ ゙ ン シ ャ)」と称していましたが、明治に神仏混淆が廃されて社号を「金刀比羅神社」と改められました。そして明治6年には郷社に、大正8年には府社(何れも戦前の旧社格)に格づけられました。
また、明治44年にはご鎮座100年祭の際に180段もの石段が設けられ、現在に繋がる荘厳な神域が整ったのです。


北丹後地震
昭和2年(1927)3月、丹後地方を襲ったM7といわれる大震災は峰山の町に壊滅的な被害をもたらしました。
当社の社殿もすべて罹災・倒壊しました。現在のご本殿をはじめすべての社殿はこれ以降に再建されたものです。


今昔写真館 丹後大地震罹災写真

「丹後國峯山金刀比羅神社之圖」(pdf)
明治期に描かれた境内鳥瞰図