創建以来現在にいたるまで、歴代の峰山藩主をはじめ町内外の人々から信仰を集めてきました。
特に「願いて叶はざることなき大神」と称えられるご神徳と、当地では例のない壮麗な神域境内や社殿のもと、町内にとどまらず丹後一円から篤く崇敬されることとなりました。
創建時は神仏混淆( コ ン コ ウ)の「金毘羅権現社( コ ン ヒ ゚ ラ コ ゙ ン ケ ゙ ン シ ャ)」と称していましたが、明治に神仏混淆が廃されて社号を「金刀比羅神社」と改められました。そして明治6年には郷社に、大正8年には府社(何れも戦前の旧社格)に格づけられました。
また、明治44年にはご鎮座100年祭の際に180段もの石段が設けられ、現在に繋がる荘厳な神域が整ったのです。
北丹後地震
昭和2年(1927)3月、丹後地方を襲ったM7といわれる大震災は峰山の町に壊滅的な被害をもたらしました。
当社の社殿もすべて罹災・倒壊しました。現在のご本殿をはじめすべての社殿はこれ以降に再建されたものです。
今昔写真館 丹後大地震罹災写真